2/6 明文化
Oさん明文化
230206_卑下するのは感情
自信というのは自分で付けるものではない。自分で追及していった時に初めて周りから「凄いね!」と言われて、他信は自信に変わる。それは周りから見たら「周りの為にがんばってるよね」と思われる事が、”他信ー自信ー利他”となるという事。眞に善い行いであり、美しい。それが”眞善美”。物事が厳しく、大変だからこそ美しい。平坦で人と同じ事をしていても美しさは無い。うまくいくはずが無い。
三毒とは人を馬鹿にしたり、人を妬んだり、人の悪口を言ったりする事。これらはお酒の席で必ずやるので、お酒を飲んではいけない理由はこれ。三毒は南禅寺派の基本。仏教では四毒、要らん事言わない。
人間がダメになるのはほとんどの場合、自分を卑下したり、落ち込んだ自分を甘やかしてみたりしてそこから逃げる。立て直そうとしない。そして勝手に分断していく。そういう人は感情。感情の人は判断が優柔不断になる。遠くのものが見えないから、目先の利害だけで判断しようとするから。だからうまくいかない。
監事明文化
会社が拡大している理由
「馬鹿だろう」と言われて、殆どの人は「なんだ!」と思い嫌いになる。
先生は、言われたら攻略してやろうと思うタイプ。
人に言われた事をそのままやっている人が上手くいくはずがない。
自分の待遇を良くしようと考える人は良くする為にはどうしようかと考え、努力し、工夫をして待遇を良くしていくが、言われて萎えるような人には将来が無い。
先生の会社は逆境大好き!がほとんど。
自分の活路は自分で導くしかない。
肥料が手に入らないから農業が出来ないという人はいらない。
肥料が手に入らないなら代わるものは何? 手に入れるには?と考える。
川上に立つ。
上に行こうとする事は難しいように思うが、上にいかなければ何かあった時にイニシアチブをとれない。
小学校の時、エルメスのランドセルで違和感だった。
勉強も運動も友達付き合うも出来ずイジメられた。
小4に走るのが好きになり、走れるようになり自分に自信が出来た。
お稽古事も行き帰り走れるので真面目に行くようになった。
そして足が早くなったことで、イジメられていたのに一目おかれるようになった。
何かをきっかけにすると逆転する。
やれと言われた事をやらされている段階では何も出来ない。
自分に自信が出来てからは、やれと言われた事をどうやってやるかと考えるようになった。
給料を上げたいと考えている人は、上がるはずが無い。
貰えるものだと思っているから上がらない。
給料を上げるんだ!という人であれば上げられる。
普通にやっているという事は見えていることなので、見えないところを遣る事が大事。
人の目にどう映っているかは凄く大事なこと。
それはどういう人か?
人に何か言われて落ち込んだり、感情的になる人は話にならない。
それなら相手を飲み込んでやろう!とする人が成功する人である。
三原則
・自分の事を卑下する
・相手の事を凄い人と思う
・分断を作る
そういう人は自分の意思が定まっておらず、優柔不断である。
他信、自信、利他
周りから認められると自分に自信が持てるようになっていく。
それは人を喜ばせる人だから利他になると自分で理解した。
楽して、お客さんが喜んでくれるはずはない。
喜ばせるというのは大変だが、その大変さを遣らない限り、人に以心伝心で自分達のやっている事を認めてもらえる事はない。
楽な事をやっても誰も喜んではくれない。
悪戦苦闘し、失敗を繰り返しながらやって成功した時には人に喜んで貰う事が出来る。
アイツ凄い、よく乗り切ったよね、頑張ったよねと評価される方が良い。
そうすると良い仲間が出来上がる。
これが風に出会うということ。
利害関係のある人が友達になるはずがない。
良い友達とは、自分に良い影響を与えてくれる人。
仕事も頑張る、口も堅い、信用出来る、何かあった時に相談に乗ってくれる人。
そういう人を自分で作る事により、徳が生まれる。
それを真善美という。
良い苦労とは
成り立つ人は苦労をする人。苦労の無い人は言われたままをやる。
言われた事しか出来ない人は感情論である。
自信
周りから認められて自信になる。
自分勝手に自信を持つ事ではない。
仕事を1人に任せると、その人の技量、ペースでやられるので精度も低くなってしまう。
ベルトコンベアーで流れ作業が一番生産性が上がる。
改善もどんどんされていく。
悪戦苦闘とは
人と同じ事をやるのは悪戦苦闘とは言わない。
人とは違う考え方で一生懸命に、違うやり方をやっていくから良い人と出会い、良い社員がくるし、良い体制が出来てくる。
優柔不断
あの人は凄いけど、自分は駄目という人は何をするにも優柔不断。
物を判断するには感情で判断するしかない。
自分の損得でしか判断できない。
仕事は美しいから利益が出る。
美しいは誰が決めるのか?それは周りが決めること。
どういう人が美しく見えるのか?がテーマ。
そういう事が出来る人が美徳を得る。
そこが凄く大事なこと。
何かがあって落ち込んでいるのは美しくない。
脳力の高い人ばかりの中で1人が落ち込んでも、いつも同じメンバーでやっていて距離感があるので引き上げる事が出来るが、中途半端な人ばかりではみんなで沈むだけ。
沈む人が1人いるとみんな沈む。
人は落ち込んだり、上手い事いかない時に克服する術がない人は周りに悪い影響しか与えない。それでは美しくない。
真善美でなければならない。
自分で落ち込んで立て直せない人であってはいけない。
どんな状態になってもそこから克服する事を考える人は、前に進んでいく事が出来る。
最悪な所に突っ込んでいける人は徳を積んで美しい。
そういう人は人事を尽くして天命を待つ。
人の一挙一動で全ては変わってしまう。
自分で落ち込む事を克服できる人は他人の事を考えられる人。
他人に悪い影響を与えたくないから頑張れるから。
そういう人は利他なので、皆が協力してくれる。
物事なんでもそうで、日頃から自分を卑下したり、自分の出来ない所をクヨクヨする人に何も良い事はない。
失敗があれば早く気付き早く立て直す事が出来る人が美しい人。
そういう人には良い人が集まり、良い仲間が出来る。
どんどん時代は変わり、自分の生活も変わっていくはず。
でも、変わらない生活をしているという事は、それは取り残させていっているという事。日々変化があるはずで、それを感じながら生きている人と、そうでない人では差が開く
自信とは、自分でつけるものではない。自分で追求していった時に初めて、周りからすごいと言われ、他信は自信に変わる。
それは周りからみて、頑張っていると思われる事が他信、自信、利他である。
三毒
人を馬鹿にしたり、妬んだり、悪口を言う。これは南禅寺派。
仏教では要らない事を言わないを入れて四毒。
人間がダメになるのは、ほとんどの場合、自分を卑下したり、落ち込んだ自分を甘やかしてみたり、立て直そうとしない。そして自分で勝手に分断していく。そういう人は感情である。
感情の人は判断が優柔不断になる。
自分の利益だけで物を判断しようとするから。
お互いが利益をとれるようにバランスをとっていかなければならない。
苦しい時ほど、それをやるべき。
それが真善美である。