不滅の法則と豊かさの習慣
私が臨済宗を知りお経に興味を持ち始めて、
父に京都南禅寺に連れて行ってもらったのが14歳の時だった。
昔から南禅寺と我が家の関係は深く高祖父、曽祖父、祖父そして、父も訪れていた。
禅宗を心得、悟りを開くことにより全ての煩悩を遠ざけ私の名前が利行であることから、
利他を無意識のうちに潜在意識に刻まれて
常に自分のとの戦いに苦行を選び悟りを開く為に生きてきた。
家督の末裔として、古くから起こりうる因果応報の連鎖を断つことが私の天命。
そんなことを考えながら、馬鹿もやり煩悩の如く生きた時代もあった。
多くの精霊達が私を囲み煩悩から私を遠ざける。
人の一生の最期の息をひきとるまで、
私はその因果応報と対峙しながら生きるのであろうと気が付いている。
禅は我が為のものであり人に与えるものではない。
自らの心の在り方を説き穏やかに過ごし、
恒久的に不滅を我が思考に与えるものであり、
そして学んだことは、不滅には法則があり、豊かさには習慣があること。
その原理を理解した時、万物に想いを馳せることが出来世の中の摂理を悟った。そんな気がしている。
今年61歳を迎え14歳から悟りを開く心の在り方を学び苦行を通して我が身を磨いた。
馬鹿をやった時代から国立大学の医学部へ進み、外資で厳しい世界で戦い、
そして勝者になり我が心の赴くままに生きて来て今の私が存在する。
世の中のあらゆることにおいて、頭の中の宇宙がひらめきを私に与えてくれることで、
人に良い影響をもたらすことが出来ている。
利他で生きて利他で行動する時、もう何十年も天気までが味方をしてくれている。
自然界は食物連鎖。それを知らねば何も出来ない。
資本主義は人間の煩悩が作り出したシステム。
その中で私は煩悩を遠ざけ利他な自分を追求して生きている。
そして、穏やかで何の不自由もない精神的に物理的に恵まれた環境を手に入れた。
55歳を過ぎて孤独の楽しさも分かった気がしてる。
多くの人達と付き合い沢山の社員達と語らう時間すらも一人で孤独を楽しめる人間になれた。