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君たちはどう生きるか

塾生の声

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投稿:Iさん

入塾して変わった事、起きたこととして、
・ど真剣に取り組むこと
・自分が変わらなければ、何も変わらないこと、
その為には行動を起こさなければ何も始まらないこと、
・行動を起こすには自分の為(利己)ではなく、誰かの為(利己)であること、
そのためには、mustをかけ、何よりも時間の確保が必要なこと
そして、継続すること
を挙げさせて頂きました。
では、塾で身についたこととは何か?
身につくとは、塾での様々な学びや気付きを頭で分かったではなく、解り、判る、つまり理解した上での行動が伴い、継続する=習慣化となると捉えると、一番身についたと言えることは、皆様への投稿や返信を毎日行っている「時間の確保」を行うことです。
年明けからのグループでの活動を始めて、皆から必要とされている、自分も必要としているという、この環境があるからこそ習慣化できています。
まだまだ投稿返信も含めて、すべてにおいての「時間の確保」には至っておりませんが、皆と共に学び、学んだことを実践し継続し習慣化する、そのための「時間の確保」=時間をつくることが今後の大きな課題でもあります。
改めまして現在のグループでメンバーとして皆様と共に学び、行動・実践し続ける事ができるこの環境に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

 

投稿:Eさん

自らが身についたことは何か?
自分よりもメンバーにスポットを当てるようにし、メンバーが周りから褒められたり喜ばれたりする事を優先するようになってきました。
そのメンバーはどんな方達なのか、現在のグループでの環境下ではどんな立ち位置をされているのか、グループメンバーの一員として自分はどの立ち位置になるべきか、どの立ち位置なら成り得るのか、また、タガタメ全体としてどう進んでいくのか考えるようになりました。

そして、それは自分が前に出るのではなく、メンバーを押し出すにはどぅしたら良いかを優先して考えるようになり、表に出ていない部分の褒めPointを見つける力が付いてきました。
現在のグループでは、自分を含めメンバーの一人が発したフレーズを皆で使っていく一体感の環境があるため、メンバーの良いところを見つけて発した際にも、他のメンバーがフォローして皆で褒めていく自然な法則が生まれ、それが【人の和】となっています。
よって、私が身についたものは、メンバー【皆で、共に進むという、人の和を創る】経験値です。

 

投稿:Oさん

塾で身についた事。。。
身につくとは?という言葉への掘り下げ。。。

それに伴い「わかる」と「気づく」について仕事での学校様への提案資料を作成時にも気が付きました。
先生が子供に質問するとき
「わかった事は何ですか?」と「気づいた事は何ですか?」の違い・・・
●わかる:今まであやふやだった事が明確になる事
●気づく:それまで気に留めなかった事に注意が向いてその存在や状態を知る

利他は私は「身についた」ところまでは至っていないと思います。まだまだ既成概念や固定観念が大きくバランスが悪い。
これに気づけただけでも、すごい財産なのですが??
以前の私は、本当に「自己中心的」で「傲慢」であったのです。

利他や思考についても。。。

分かる→解る→→→(今ココ??であってほしい)→→→判る

判るというところになると「身につく」のだろうけれど、今はその過程であって、それを身につけるためにタガタメの環境、塾の環境がある。

敢えて身につくという事を上げるならば
ちゃんと相手を、人を、何かを「観る」ことを意識するようになれた事、
常に考える際に「?」がつくようになったことでしょうか?
年明けからのグループ活動を通して、トシ先生、グループや塾の皆さん、そして陰ながら支えてくださる代表に利他とは何かを「気づかせて」いただけました。
今までも経験してきた事なのに、気が付かなかった事を「気づけた事」そして、それを通じて感じられた「幸せな感情」それを体感した事により自分自身の行動が変わっていきました。

物事を行動に移す際に「考える」過程が組み込まれました。常に「?」が付くようになりました。
まだまだ反射での言動があるのが現状です。

まだまだ完璧ではありません。
しかし、スパイラルが回らない、繋がらない場合、利他が感じられない場合はは「違和感」を感じてしまい何か提案されても即答はできないし、答えられるものではない。

きっと、以前ならば「その違和感」を感じる事もなかったでしょうし、「違和感」を感じた時に即答で反対意見を言っていた事でしょう。

まだまだ「?」を持って考える事が判るへ以降するまで、「人を観る」「物事を観る」事について身につくように、貴重な環境を大切にしていきたいと思います。

 

投稿:Kさん

職場において、人は感情の生き物であることを理解していませんでした。
仕事なのだから、私情をはさまない仕事用の人格で、みな、仕事をするものと思っておりました。
そのモードで、ものごとに取り組み、患者様のお役に立たせていただければ、シンプルにそれが喜びとなる。
自分の得とか、自分の名誉とかには興味がない。
よい臨床、よい仕事をしたい。成長したい。
そういう風にみなが思うのだと思っていました。
意味のないルールは嫌いで、何のために?を連発し、みなが美味しい方法を考えるのって楽しいよね~と言い、「慣例です」と説明されても理解出来ず。
要は、子どもが子どものまま、配慮の足りない仕事の仕方をしてきたのだと思います。
仲間を守り、尊重してきたつもりでも、至らぬ点が多々あり、仲間だからと端折ってきた部分も沢山ありました。
「自分がその立場だったら」を考えて、相手の人のことを考えているつもりになっていましたが、「相手の人がその立場にあるのだから」については実に思慮が浅かったと思います。
といったことに気づかせていただき、何につけても、目標ではなく、目的は?を、考えるようになり。
まだまだですが、のびしろ一杯!で、日々の変化や気づきが楽しいです。
起きたこととしましては、わたしが塾の学びを実践することで、間接的にトシ先生に命を助けていただいたスタッフがおりました。
諦めないことの大切さを、日々学ばせていただいております。
トシ先生と、ご一緒させていただけている皆様がいてくださるからこその今であり、これからだと思っております。

 

投稿:Tさん

塾で身に付いたこと
大人になって塾で学ぶということは、どういう意味があるのか。
受験対策でも、資格取得でもない、「豊かになるための考え方」を学んでいます。
考え方を学ぶことで、結果として受験や資格取得に成功するようなメソッドです。

入塾後の私自身の変化としては、
人と接するときに、感情的になることが減りました。そうすると、相手の反応が劇的に変わりました。
その反応を受けてますます感情的なものから離れ、感情的な人からも距離が取れるようになりました。
自分の為だけに時間を使うことが減りました。そうすると当初思っていた以上の結果が出ることを体感できるようになりました。自己犠牲的考えでは、決してありません。自己犠牲は傲慢だと先生からは教わります。
結果を出したいときに、やみくもに手探りでやるしかない、不安でいっぱいの状況ではなく安心感を得られるようになりました。具体的かつ実践的な方法や、失敗しないためのヒントを先生や塾生の方にご相談でき、学べる環境があるおかげです。

子どもの頃や学生時代に出来ていたこと、覚えたこと。
大人になった今も出来るか、覚えているかと問われれば、全てにイエスと答えられないのが正直なところです。

血肉となり、今も使える筋肉として具体的に日常生活で役立っているか…?
塾は、身に付け『続けられる』環境、チャンスがある場所だと思います。
ダイエットで言うと、期間を定めて「マイナス●kg」を達成することは素晴らしいですが、もっと素晴らしくまた困難なことは、「ピーク時からマイナス●kgを、もう△年キープしています!」ということだと思います。
自分の目標とする在り方をキープする方法を学ぶことができる、「良い状態」を継続できる環境がある、そんな塾だと思います。

 

投稿:Tさん

「●●の為に◎◎をする」という意識が常に持てるようになった
入塾し約9か月経過し、今回のリレー投稿で改めて自分を見つめ直しました。
入前の私の考えは、「自分を高める為に、あらゆる本を読んだり勉強をする」という、自分本位な利己者でした。
いまでは、塾での学びのお陰で、「家族は当然であり、会社のメンバーの為、塾の為、グループの為」という意識が強くなりました。
そして、家族であり、会社、塾、グループという集団に貢献したいとの思いも強くなったのも事実です。
自分でない、他人の喜びが自分の喜びとして感じております。
また、◎◎をするについても、家族では父親であり夫として、会社では中間管理職として、塾ではテルさんの紹介者として、自分の言動がより
一層慎重になりました。そして、感情的な自分自身をコントロールすることが大事であることを意識し、あまりブレなくもなりました。
4月から勤務場所、立ち位置も変わり、夜のグループでの活動もめっきり減り、皆様の投稿に追いかけるばかりで精一杯な状態です。
?いつもながら温かいフォロー頂き本当に感謝しております。
?引き続き、皆様のお役に立てるよう、思考を高めていく決意です。

 

投稿:Nさん

一昨年春、私は、『この機会に学ばねば一生変わる事は無い!』との一心で入塾を希望しました。塾は、ビジネスや思考を通して物事の本質の捉え方や生き方について学び、自分の人生を選択し、つくることができる人を育てる事を目的にしています。
入塾後、ヒト-モノ-カネ-情報-時間の観念がこれまでとはガラッと変わり、世の中の捉え方、見え方、そして生き方が変わりました。
入塾後の「今」について一言で表すなら、人間として以前とは違う自分でいるということです。
時間は貴重、「時は金なり」を身をもって経験させていただいております。
また自分を客観的に認識し行動することが、人との関わりにも仕事にも通じ、結果として周りの方を大切にすることができるという気付きがありました。
学びを実践することで、何事も当たり前に捉えるのではなく「なぜ?」と考える意識を持つ事、考えて行動することの大切さを日々実感しております。
一人では決して続けることはできません。
お互いにフォロー、サポートし合う同志と一緒に学び続けることができる環境があり、常に「利他」の教えに基づく行動の実践があります。
先生の教え、塾生の皆様と共に取り組める環境に感謝の念を持ち、引き続き学びを深めてまいります。

 

投稿:Mさん

トシ先生から本当に様々な事を授けて頂きました。
めまぐるしい世の中で変わらないものが見えると、何が大切なのかを気づくことが出来るようになった気がしています。
OODAであったり、逆もまた真であったり、距離感であったり、お金の価値は何ぞや、目標と目的の違いであったり、そしてそれは利他。
大小はありますが私は利他を感じるときに自分の心に余白(ゆとり)を保てるようになりました。
Kさんの素晴らしい写真も同じで、余白がないと何か決まらないと思いますし、そしてバランスが大切だと思いました。

考えてみるとボールペン1本、お茶碗1客、靴一足、物を大切にされている方は、余分なものをもっていません。
またケチに対しの価値観も全く違います。モノやコトの対価を支払うことに対し、買い手なら値切り・値決めは大事です。
心に余白がない方と余白がある方の、ここの差が大切だと理解することが出来るようになりました。何でも大切にされている方は、値切り方に違いがあり、相手(売り手)にとっての喜んでいただける、幸福なことを思い・考えた上での値切る行動ができる方が殆どで、その幸せを受け取った相手(売り手)側は、買い手に対し、出来る限り喜ばせてくれるサービスを考えて頂けます。人の気持ちって、そういうものではないかと解釈できるようになりました。

足るを知る人生の中に本質があり、そのゆとりの心からは悪行は生まれない。
人を踏み台にして自分だけ得する人には、そういった人が集まってきますし、心豊かな方には心豊かな方々が集まるものです。類は友を呼びそして人生が決まる。
その余白が幸運をもたらし、心豊かに暮らせるようになるのだと思います。
利他の生き方は、自分を磨くことが基礎となり、それは心の余白だと。
しかし「ダークM」が出てきてしまいます。私の心が低い時は相手の嫌なところが見え、私の心が高いと相手の良いところが見えてきます。ですからダークMが出てきた時、その時には立ち止まり心を静め利他を思考させることが出来るようになりました。

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