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君たちはどう生きるか

6/19 勉強会明文化

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欠端代表コメント

因果をつくらない人生と考えると、人が人に影響を与えながら生きている中で良い影響を与えることは自身の欲を抑え主観ではなく相手のことをよく観る客観視で必要となるべきものを与えられる。

それは世間でいうことの真逆なことで、奪い合いではなく与える、勉強でも自分が学んだことを周りに教えてあげることで、相手から必要とされる、また相手から悪い感情を持たれない、悪因をつくらないということですね。

競争してより良きものを創り、より便利にするということは良い形につなっていきますが、相手を蹴落とすということは相手からすると自分の安全を脅かされるということ、そこに良き感情などあるはずもなく、不安からくる恨みや妬みなどが悪しき因果となって自身に降りかかりますね。

自ら勉強して生き方の選択の権利の行使ができる、しかしそこに大きな力で自分の思うように選択ができなければそれは因果となり、後々まで悪い影響となります。

しかし物事はとらえ方ひとつで表裏一体。自分の感情を抑えてそのことを受け入れて、それが最善のこと、良きことと考え、変えられる自分であるなら一つ自分のレベルが上がったことでもあります。

自分が生きていく中で反対意見とは物事のとらえ方が自分とは違うということ、違うことが悪いのではなく自身の知見を広げるものであり、そこに新たな発見があるかもしれず、逆にその視野の違いを説明、話し合いをすることでお互いの理解が深まることでもあり、自身の在りようで因果というものが大きく変わりますね。

未来に対し影響があるとするなら良き形を創ることに日々精進ですね。ありがとうございます

監事明文化

2023/6/19 勉強会

被害者意識の強い人は人を遠ざけます。
そうなると誰も助けてくれないので、年老いた時に子供に迷惑をかける事になります。

その人自身に罪はなくても、因果によって人生が大きく変わってしまう人は多いです。その因果に飲まれてしまうと被害者意識になり、ある程度の年齢になると見捨てられてしまうことになります。

因果は気を付けないといけません。殆どの人は因果の中で生きています。
そこに意識を持っていれば良いですが、流されていくと渦に巻き込まれていきます。自分で止めるしかないのです。
どう対応するかを考えられれば因果から逃れる事は可能です。

実は因果も捉えようです。
悪く捉える人は被害者意識になりますが、良い方に捉えることが出来れば良いこともあり、良い方に目を向ければ受け入れる事も出来ます。

先生と3役は全く性格が違います。お互いがお互いを独立した相手と自覚していること、これが因果ではないという事です。
普通は自分に似た人を良い人と思いませんか?
それが因果を生むのです。
似ている人ばかりが集まるから相関関係にならず、切磋琢磨する事が無いのでお互いに良くなる事はありません。

異常種交流会は因果、組合は因果の繋がりです。だからそこに入ると身動きが取れなくなってしまい成長はあり得ません。

因果で相手に影響力を及ぼそうと思うと反転します。
因果でなければアドバイスはしても、相手にそうしろとは言いません。

相関関係というのは別々であるという意識の中でお互いが協力出来ること。お互いを冷静に客観的に見れなければ成り立ちません。
因果になると感情などが入り、冷静に見る事が出来なくなってしまいます。

先生のご友人
母親が妊娠中に薬物中毒で、生まれたその方は耳も聞こえず、喋れず、弱視でしたが、良い仲間に恵まれ大阪外語大学に行きました。
しかし、父親が殺害され、弟さんを食べさせていく為に父親の跡を継ぐ事になり、なりたくないのにヤクザになるしかありませんでした。
逆に先生のお父様は、ご自身の影響が先生に及ばないように、同じ道を進ませないようにされました。

原因と結果 原因は見えません。
ビジネスでも、何故そんな事が起きたのかの原因はだいたいが誤作動で、それを誰がやったかは分かります。
それは原因ではなく単なる動作。
原因とは何故その人がそれをやったのか。それが分からない限り解決策は見出せません。仮に業務に因果があったとしたら、誰がやっても同じことを繰り返すだけです。

因果は簡単ではありません。
原因を突き止めるとはそんな簡単ではないのです。けれど客観的に考えることが出来れば分かります。

親が頑張れば子供も頑張る子に育ちます。けれど子供を否定するとそこに因果が生まれ、子供は伸びる事が出来なくなります。子供を否定しないようにしなければなりません。

育ててくれた親に対し、申し訳ないと思うと因果のるつぼにしかなりません。
親がいなくなった時、いろんなものを失う事になってしまいます。
親は親 自分は自分と割り切った上で相関関係で客観的に親に何をしてあげられるかを考えた方が因果に引っ張られる事はないのです。

因果の一番わかり易い言葉はなんでしょう? ブーメランです。
良いと思ってやった事がのちに自分に災いをもたらす。これが因果。
情で流されると自分にブーメランで返って来ます。それもそのブーメランは一番大事な時に返ってきてしまいます。

感情的被害者の人は生産的な事は出来ません。
それは事実をしっかりと見れず、何かに深入りすると自分が大変な目に遭うと責任転嫁的、自己逃避的になり何に対しても興味が持てなくなってしまうからです。

先生は生きている事がすべて生産性にしか繋がらないようにされています。

因果を上手くすり抜ける方法
ガミガミ言う人に対し、それを否定すると悪循環になります。
そうだねそうだねと肯定し、言い続けると、ガミガミ言うことが面白くなくなるものです。

売り言葉に買い言葉ではなく、売り言葉に売られ言葉で返すことが賢明です。
親子という近い関係で言い返すとエスカレートするのですから肯定しましょう。

人に怒られた時も萎えずに肯定することが大事です。
肯定で返すのが世の中で一番いいのです。

立ち位置で強い弱いがありませんか?
家族の中にもパワーバランスがあるのは何故でしょうか?
助けるは助けた人と助けられた人となり、そこには強い弱いがあります。
けれど、その関係がずっと続くのは因果ではないでしょうか?
強い弱いは主観 感情です。
相関関係で考えれば相手がいるから自分がいて、自分がいるから相手がいる。
そこは線を引いて考えるべきで、お世話になったからと引け目を感じるのは、それ以降も相手に何もしてあげられていないということになりませんか?

自分を育ててくれた親
引いてみて、人類として考えれば親が子供を育てるのは当たり前のことです。
因果で親の面倒はみるのは自分の生活を犠牲にするということになり、被害者になるということです。相関的に考えるべきことです。

結婚した時、相関的に考え両家にまんべんなく行く事でバランスが取れ因果にならず円満な関係になります。

こっちを立てたら こちらも立てる。
バランスを取っていくのが相関。
バランスが無くなると因果になります。

因果はどんな人にもあります。
否定したり、弱みを持ったりするとそこに引っ張られるので、それは別であると認識し、冷静に肯定していくと因果は無くなります。

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