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人生を大きく変えた塾での学び〜妻の乳癌克服〜

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塾生のヒロ君が入塾前から奥様の乳癌克服までを綴ってくれましたのでご紹介いたします。


 

人生を大きく変えた塾での学び〜妻の乳癌克服〜

昔の私は人の悪いところばかりを見て、勝手にこうに違いないと思いこみ、時にそれを自分が責められているように思い、卑屈になり相手の責任を追究することばかりを考えて、いつもいつもイライラしていたように思います。
そのイライラを家族にぶつけることもありました。妻も子ども達もいつも私の顔色を伺っていたことに気付きもせず自分の親や兄弟との関係もギグシャクしていました。
当然、友達もいませんでした。
物事の上辺だけを見て、些細な言葉で感情が沸き立ち怒る。感情に任せて怒る。一日中怒る。自分の意思を通すことだけを考え、自分の意見ばかりを言い、人を好き嫌いで判断する。塾に入る前の私はそんな人間だったと思います。

入塾する直前は、子ども達も少しいろいろなことがわかるようになってきて、私を見て明らかに脅えていたり、絶対に嫌だとひどく泣くことも多く、職場でも「おとなしくしているように見えても、関り方を気をつけた方がいい」という噂が流されていました。人間関係も上手くいかず、それでも1日をただなんとなく過ごし、時には仕事での面白くなかったことを家にもって帰り、家で発散をするような時もあったと思います。

そんな頃、以前よりお世話になっていた小夜代表から素晴らしい思考をお持ちの先生だから来てみたら?と一歩一会セミナーにお誘い頂いたので、藁をもすがる思いで参加させて頂きました。

最初のセミナーで、今まで自分が考えたことも、思ったこともないような話しばかりだったこと、私は経営者ではなかったので、経営のことはわからないと思っていたのですが、経営のお話は日常生活に結びついている話しで、この方はスゴイ先生だと思い、とても驚きました。

また、怒ることって、冷静な人から見るとバカバカしい疲れることなんだと気付きました。

一歩一会のセミナーの帰り、新幹線で先生とご一緒する機会を頂き、自由席のデッキに立ってご指導を頂きました。
先生は私の話しをよくよく聞いてくださり、その時は、こんなにスゴイ先生が私の話しを聞いてくださることにとても感動したことをよく覚えています。
新幹線の中と、塾に入って最初の1年は、感情のコントロールについてお話を頂きました。
感情を表に出すと、周りの人間がどのような気持ちになり、自分がどう見られるのか、結果、相手からの信用をなくすことになること、私自身が感情的な人間だったのですが、先生のお話を聞くうちに、感情的な人は付き合いにくいんだなと思うようになり、また、感情的な言葉は相手にどれ程の傷を与えるのかということを知り、家族や職場の仲間が自分に寄って来なかった理由に納得しました。また、自分自信も怒ることで疲れてしまうのだと思い。感情的になることって、つまらない無駄なこと、誰が得をすることもなく、良いことが無いんだなとわかりました。

入塾して1年経った頃には、家でも職場でもほとんど怒ることはなくなりました。ただ、怒りが込み上げてくることはありました。しかしそれは、ただの感情で、私の行動とは別のものだと思えるようになり、沸き立つ感情のまま行動することは無くなりました。
妻も穏やかに過ごせる日が増え、子ども達が「お父さん❗️」と寄ってきてくれるようになりました。

塾に入っての1年で、時間の大切さと時間には限りがあるということや、生産性のある使い方について学び、それを意識するようになりました。
その頃は電車の運転士という不規則で家族への負担の大きい仕事をしていました。電車の運転士は私が好きだからという「我は」の気持ちでの行動で、家族に負担をかけていたことに気付き、家族との時間を大切に、また子ども達のこれからのことを考えて転職することを決めました。
しかし、40代で学歴も経験もない私の転職活動はとても厳しいものでした。
転職活動をはじめてすぐの頃、求人票で良い条件だと思うものに書類を出しても、面接にたどり着くことができませんでした。そこで面接して頂ける会社に絞って、活動をしていくことにしました。
面接では、こんな私に会って頂くと言ってくださった、という感謝の気持ちを忘れずに持ちながら、事前に調べた情報、担当者の話しや環境から会社のことを考えて、面接の担当者の方とお話をさせて頂きました。
私の得意な運転という技術を生かすことができ、人と接することができる今の職場(自動車学校)への転職が決まりました。

転職して数カ月後、妻の乳癌が見つかりました。
ステージ3… 医師からは、もう少し発見が遅かったら、治療ができない状態になっていたと言われました。私もとてもショックを受けました。なぜ妻が?という気持ちの一方で、今まで私が、精神的にいろいろ負担をかけてきたことが、妻の大きな負担となり、病気になってしまったのではないかと心から後悔しました。
自分の行動が、取り返しのつかないような事態になってしまうこと、「我は」は無い。「我は」という行動や言葉が、どれだけ周りの人の気持ちを踏みにじってきたのかを思い知り、同時に怖さもこの時に強く思いました。
告知を受けた妻の気持ち、子ども達のこと、妻を育てた両親、妻のきょうだい、また私の両親の気持ちを考えました。妻と子ども達はもちろん、妻の両親をはじめとする家族、身内みんなに安心して貰うには、自分はどうあるべきか?を考えて行動していきました。
髪が抜けてしまうと医師から説明があったので、一緒にウィッグを買いにいったり、上手く説明できない妻に変わって、妻の両親やきょうだいに治療のいろいろなことを話しをしてきました。

癌が進行していたこともあり、初めは抗ガン剤治療をすることになりました。
抗ガン剤治療は、今は吐き気止めの薬がよくなっていたそうですが、治療後一週間は吐き気とダルさで全く動けず、ほとんど寝て過ごしている状態でした。辛い気持ちで、闘病する妻、家事や身のまわりの手伝いにきてくださっていたお義母さん、妻の変化に動揺する子ども達の様子や話しをよくよく聞いて、少しでも負担が少なくなるように、笑顔で過ごせるようにと思って行動をしていきました。
妻とみんなの頑張りのお陰で癌はほとんどわからない程小さくなり、手術も予定していたより早くできることになりました。

妻の手術中、妻の家族や自分の家族との時間を過ごしました。
会話をする中で、もし妻が聞いたらどのように思い、どうしてほしいと願うのか、目を覚ました妻や、これからの妻や家族の生活を考えていました。
そのために、身内がお互いに交流をしやすくなり、よい関係を保つには自分はどうするとよいのか?身内全員が、個性があり違っていることを踏まえ、これから円滑な関係にするには、今、自分がどうしておかなければならないか。
その時に、塾で教えて頂いた周りの人の喜びを考えることが、妻の喜びへと返ってくることを考えました。
目の前の人だけではなく、その向こうにいる人々のことを考え、妻が何をしてもらえると助かるのか、妻の喜びが子供を喜ばせ、身内も喜び、それが自分の喜びであることに気が付きました。
妻や子ども達の将来のためにも繋がる。そうなるように家族と時間を過ごしました。
妻の入院中は、子ども達がどれだけ「お母さん」を愛しているのか、父としてのあるべき姿を改めて考える時間にもなりました。

手術後の病理検査の結果で、ステージ0に、妻の頑張りと家族の協力、先生や代表、塾のみなさまの暖かい心遣いを頂いたお陰様で、妻の癌細胞はすべてなくなっていました。
妻は新しい命を頂いたのだと思いました。妻が自らの身を削り得たものを、短歌や闘病記として綴っている様子を見て、これから妻が頂いた命、人生を豊かなものにしてあげたい。それが苦しむ方のお役に立つのであれば。私がこれから仕事をしていく大きな理由のひとつになりました。

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